saryの日記

つよがりで、がんばり屋さんな女性たちへ。肩の力をぬいてもあるけるようになるための日記☆ボイジャータロットから連想する気づき☆

10年前の小さなトラウマとさよならして、ロマンティックにいきましょう。

実はトラウマだったこと

昔、といっても10年前ぐらい、バンドメンバーに「あなたの曲はちょっと恥ずかしい感じがする」と言われたこと

その人にとって他人の曲が恥ずかしい場合もあるし、ピンときていない場合もあるし、テイストが好みじゃない場合もある(おそらくどれもそうだと思う)

ただその一言で、「自分は残念な人だ」と感じて、自分の感性そのままに表現することをためらうようになった

今思えば、そのおかげでアレンジを試行錯誤するようになったし、未熟さからくる幼稚さや目立ちたい・認められたいがゆえの技術盛り込みはしていないか気を付けるようになった

自分に酔うこと=表現ではないと、痛感した時だったと思う

 

ただその頃から、願うようになったのは「もっと情熱的に音楽をやりたい(打ち込みたい)」だったように思う

ドラマチック・ロマンティック・ストーリー性のある音楽が好きで、アレンジも曲作りもその傾向がある

でももちろんその傾向が合わない音楽もあるし、何より感性が信じられないのだからアレンジも曲も作っていてどこか不安

ダサくないか、演奏技術がひどくないか気になって、こわくて・・・褒められても疑心暗鬼になりやすかった 

自信があまり持てない分まわりをちょっと威嚇していたように思う

「自分の感性はちょっと残念気味だから、気を張っていないとボロが出る」みたいに感じて・・・

そんなんじゃあもちろんだけど、「情熱的に音楽」はできないわけで・・・

感情移入しきれないし、感情表現もどこか抑え気味になる

実際、自分のつくる曲・自分の弾く曲・表現する感じはつまらないなと感じていた

バンドを続けていても、クラシック曲を練習したりレッスンに通ったりしていても、ソロで音楽活動を始めた2年前(ちょうど今月で3年目突入)から今までも、正直そう思っていた

好きなんだけど、どこかのっぺらしている感じがして・・・何かが足りない感じ

 

 

 

 

 

今度ボランティアで、お箏の方と童謡を何曲か弾く

ピアノは全曲ゼロからのアレンジ

昨日はその練習だったんだけど、ドラマチック・ロマンティック・ストーリー性好きの自分の感覚そのままのアレンジを披露したら、「やさしい中にセクシーさがある気がする」と言われて、純粋にうれしかった

"あ!"とその時思った

 

今まであらゆる場面で、感性をあらわにすることを躊躇ってきた

自分に酔うのはダメ、客観的に!みたいに思っていたし

表現するとダサい自分が余計にダサくなるって思って(苦笑)

それは音楽の時もそう

でも躊躇は表現のブレーキになってしまうんだろうな

 

自分の感覚に酔ったっていいのかもしれない

酔うというより信じてみるという感じ

 

最初は酔ってみて、次は客観的にみて、また酔ってみて、また客観的にみて・・・

その作業自体は10年前から変わらないけれど、根っこはちょっと変わったように思う

「私は残念でダメ」から始めるんじゃなくて、「とりあえずOK」で最初を始める

 

 

 

 

今まで、テレビやコンサートでミュージシャンを見たり、成功している人の話を聞いたり見たりすると息苦しい気持ちになりやすかったけれど、最近は格好よく感じるし、感動しやすくなっている

そこに居るってこと自体がすごく胸を打つ

ドラマチック・ロマンティック・ストーリー性をもって音楽をやりたいと願うのは、自分もそう生きることを望んでいる表れなんだと思う

望んでいることを素直に感じられるようになったから、胸を打たれやすくなっているのかも?

 

練習で"あ!"と思った時、「情熱的に音楽をやる自分」を恥ずかしがる時期がようやく終わったのかもなぁと感じた

だから躊躇せずに、ロマンティックに音楽をやっていくことにする

 

 

2018.10.9「Disappointment」