saryの日記

つよがりで、がんばり屋さんな女性たちへ。肩の力をぬいてもあるけるようになるための日記☆ボイジャータロットから連想する気づき☆

「いい人じゃなくても人生楽しんでいい」と上書きをしていく

こんばんは。

日付が変わってしまっているけれど、やっぱり書きたくなったので、3月29日の日記。

今日のカードは昨日と同じ「Purity」=純粋。

昨日の続きを考えてみる。

 

 

 

昨日、気づかないうちにいろいろ抱えてしまっている、ということを書いたんだけど、「いい人でないと幸せになれない、人生楽しんじゃいけない」という先入観や罪悪感が何となくずっとあった。

 

いい人って?

たとえば周りに合わせられる人、いつも笑顔な人、心遣いができる人、場の空気を読める人、こころよく手助けができる人、家族を大事にできる人、友達が多い人、同僚や職場の人にもやさしい人、大人な対応ができる人、利他的な人・・・

 

私は、「利他のこころ」という言葉に引っかかりを感じていて、なんというか嫌い。

でもそれじゃあいけない、こころの度量を大きくして、giveの気持ちをもって、人を大事に・・・なんて考えていた時期もあったけれど、誰かのために何かをする、そういうのが今の自分にはムリ!余裕ない!ってなっているのを認めようと思います。

 

仕事仲間や知人はいるけれどなんとなく友達(困った時に自然と頼れる人、打ち解けて話せる人、みたいな感じ)って言える人いないし、母以外の家族や親せきをそんなに大事に思っていない。

同僚とも仕事だけの関係でいい。

誰かを手助けしたい気持ちのときもあるけれど、構ってられない!と思ってしたくない気持ちのときもある。

同様に、心遣いも、空気も、合わせることも・・・

 

そう、ムリ。

思い描く「いい人像」に、いつもなんてなれない。なりたくない。

 

だってなんだかそれは、自分じゃない。

そりゃもちろん、社会人としてのマナーは守りたい。

人を傷つけたり、自分ばっかりな人になったりもしたくない。

時と場所もちゃんと選ぶ大人でいたい。

けれど、自分の今の気持ちを無視して、自分の見栄や好かれたいばかりに、「どこででも・いつでも」いい人でいるというのもなんだか変なこと。

 

大体、いい人じゃなくても人生楽しんでいる人、幸せな人はたくさん。

自分にレッテル張ってるのは自分。

 

だから、「いい人じゃなくても幸せになれる。人生楽しめる。楽しんでいい」という新しい意識に上書きしていこうと思う。

 

真夜中になって、そんなことを思ったのでした。

 

 

 

 2018.3.29「Purity」

 

 

 

 

 

 

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