saryの日記

つよがりで、がんばり屋さんな女性たちへ。肩の力をぬいてもあるけるようになるための日記☆ボイジャータロットから連想する気づき☆

無理してまで「その」幸せを感じるべき・・・なんて思ったら、それは本当に幸せなの??

こんばんは。

今日のカードは「Oppression」=抑圧。

デザインは四角がたくさん、ぎゅうぎゅうな感じで埋め尽くされていて、見張る目があって、もがく手があって・・・

そんなカードを見ていて思ったのは、「周りの価値観にそって幸せを目指しても、それは本当に幸せなの?」ということ。

 

 

それは、身内のこんな言葉を聞いたから。

「結婚して、家を買って、子どもを産んで、育てて、成人させて、自分の仕事もやり終えて、老後を迎える・・・世の中でこれまで通ってきた幸せのイメージ。そうなれば幸せになるって思ってた。

けれど現実は・・・正直言うと、とっても幸せ! と感じたことはなかったかもしれない。

・・・こう思う私っておかしいのかしら?」

  

ううん、全然おかしくないよ! と即座に答えました。

みんなが幸せに感じられることに対して、自分はそうでもないことってあるから。

(あとその"みんな"も、幸せに見えるだけかもしれないし)

それに、どう考えたって大変なことばかりじゃん!と、独り身の私には思えたので、

がんばりすぎて疲れて、今は感じられないでいるだけだよ! 

これからじわじわくるんじゃないの? 

とも思ったんです(願望でもある)。

 

ただやっぱり、人と同じようになれないっていうのは結構不安だよね、とも思いました。

ちょうど私の親世代(60代以上)の人たちが、私の年齢ぐらい(30代前後)の時の社会にあった価値観が、「結婚して家を買って子ども産んで・・・がいい人生」だったんだと思います。

そればかりが幸せの定義ではないことは、今の多様性のある世の中だからわかるけれど、当時の世の中の空気感は今よりぎゅっと濃いというか、まとまり・塊なイメージで、大多数の流れ以外のことを考えるのはきっと難しかったはず・・・

 

親世代よりも今はずっと、生き方も考え方も選びやすくなっていると思います。

情報にアクセスするのが容易で、インフラも整っているし、その分多様的になっているから、違いも受け入れられやすくなっていると思います。

だから人と同じことをして、感じ方が違ったとしても、それはそれぞれの人の個性だからおかしいことじゃないって思えます。

 

 

そもそも、幸せの定義って何?

一体だれがそんなイメージをつくり出したの?

 

そんなの人によって違うのが当たり前なんだけど、人の話を聞いているうちは思えるのに、いざ自分が直面すると客観視できなくなるんですよね・・・

 

その根っこには、「ものすっごく幸せ!を目指して生きないといけないんじゃないか・・・」という変なプレッシャーを感じているからだと、なんとなく思いました。

 

思えば、「ものすっごく幸せ!」のイメージって、幸せそうな人を見てつくるところありませんか?

私はついついそれに倣おうとします。

でも、というかやっぱり、自分には合わないものもでてくるわけで・・・

 

あ、なんだか自分はそれじゃない。違う。

そう感じたら、そんなに無理してその幸せを目指さなくてもいいんですよね。

ぎゅうぎゅうな感じで目指すよりも、のびのびと幸せになりたいじゃないですか(笑)

 

別にそこそこでも、まぁまぁでも、幸せは幸せ。

人と比べるものじゃないのに、やっぱり比べるクセがある。

どうにかならないかなぁ(苦笑)

 

 

 

最近何度も「のびのびと」が出てきます。

ぎゅうぎゅうするのもされるのも飽きた~! みたいな感じがしていて、幸せっていうなんだか壮大なテーマに対しても、「ま~そんなもんだよね~」ぐらいに今はいたいなと思っています。

 

 

2018.3.24「Oppression」

 

 

 

 

 

 

 

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