saryの日記

つよがりで、がんばり屋さんな女性たちへ。肩の力をぬいてもあるけるようになるための日記☆ボイジャータロットから連想する気づき☆

人に変化を求める前に、できること。自分が変えられることがあるならまずは変えてみる。

 

 

久々のブログ。約1か月振り?

今日のカードは「Fortune」-運命の輪。

運命の輪を回す手は、いったい誰の手だと思う?

わたしは、やっぱり、「自分の手」だと思うんです。

 

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フリーランスを辞めて、ベンチャーに勤め始めて1か月たちました。

正直言って、つらい。

仕事量は半端ないし、時間は長時間だし、人間関係を構築するのだって大変。

バックグラウンドの違う人と何かを作り上げていくというのは、とても大変なことなのだと、久々に痛感しています。

どのレベルで仕事できているのか? ということではなくて、人に対して変化や改善、承認を要求するなら、まずは自分から動いていかないと人はついてこない、と思う場面が多くて、やきもきしている感じ。

人を見ていてもそう思うし、自分自身もそう。

 

聖人君子ではないのだから、やきもきが昨日はちょっと煮詰まって、ポロポロしてしまった(苦笑)。

以前なら、弱さを見せるのはいけないと思っていました。

そんな姿を見せて同情されても嫌だなとか、変に気を遣われたら(腫物的な)嫌だなとか、「あんなことで泣くなんて被害者妄想じゃないの?」と思われたら嫌だなとか…

 

でもなんだか、今日、職場の人が気を遣ってくれたことが素直にうれしいというか、こそばゆいというか、ありがたいなと思いました。

そうだよなぁ、頼っていいんだよなぁみたいな。

自然に気を遣われるというのは、心地いいものだなと思いました。

 

あと、煮詰まって弱っている感じを外に出したことで、「問題が今ここにあります!」とシグナルを出せて、回りに気づいてもらえたようで、よかったのかもしれません。

 

問題は、誰か一人のせいで起こるものでもないし、関係者がちょっとずつ歩み寄らないといけないはず。

でも時々、「あの人が・・・」と標的をつくってしまっています。

要は責任転嫁。

自分が働きかけること・変われることもあるはずなのに、できないからって相手のせいにする・・・

すると余計にやきもきする・・・

 

おそらくずっと、わたしはこの“やきもき”に振り回されてきた気がします。

人は変わるなんて、そうそうできない。

性格はもちろんそうだけど、考え方や、態度や、口調や、仕事の仕方や。

なのに求めて、すぐに結果を求めて、求めたものがこないと怒る。あきれる。不信になる。

そんなループにいるのにも、もういい加減飽きた・・・

毎回毎回思うのに、ループを止められない。

その理由は・・・??

 

 

信じるってなんだろ?

変化が起きることを待つことも、信じるには含まれるのかな?

相手が自分とは違うバックグラウンドを持っていることを忘れないことかな?

相手も不安なのだと、忘れないことかな?

 

 

今日はふたご座新月

「人に変化を求める前に、できること。自分が変えられることがあるならまずは変えてみる。」

それを胸に誓ってみたいと思います。

 

どうせすぐできなくなる、と少し思ってしまうけれど、何回も思って、時間をかけて進むだけ。

だって器の大きい人に、わたしはなりたいんだもの。

その理由はまだよくわからないけれど、直感的に思う。

だから今の職場に縁があるのだと思う次第です。

 

 

今日はまとまらないブログでした。

 

 

2018.6.14 Fortune

 

 

思いついた時はきっと、そうできる準備が整ったということだと思う。

 

 

 

地方に住んでいると、ときどきこう思う。

「あの時、無理にでも東京に出ていたなら、自分の人生は変わったんだろうか?」

 

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3年と半年前、地元を離れて東京に行こうと思った。

当時、行き詰まっていて、人生を違う方向に開く方法としてそう思った。

環境を変えて、仕事を変えて、家族から離れて・・・そうすれば変われると思った。

 

知り合いのつてをたどり、東京で仕事している人を紹介してもらって、日帰りで何度かその会社に出向いて話を聞いて仕事を少しお手伝いしてみたけれど、結局やめた。

 

理由はいろいろ。

知り合ったその人とウマが合わなかったこととか、仕事があると聞いていたけれど実は全然当ても何もなかったこととか、押し付けられるルールに耐えられなかったとか・・・好感度ゼロからの嫌悪感と怒りに印象が変わった時、そこからは離れた。

東京の密度も無理に感じた。人の数もだけど、建物の数、広告の数・・・狭苦しく感じて、息が上手に吸えない・・・自分のスペースが、立っている所分しかないような感覚。

 

今思うと、東京に行こうと思っていたあの頃は、若気の至りというのか、恥ずかしいし消し去りたい出来事のように思う。

結局は考えなしで勢いで動き出して、おいしい話に乗っかって誰かに寄りかかって楽したい気持ちもやっぱりちょっとあって・・・詰めとか考えが甘かったんだよね(苦笑)。

 

それは今も変わらないかもしれない。

結局は、直感で動くから詰めが甘い。

周りの人に迷惑もたくさんかけているだろう・・・

フリーランスの時もそうだし、転職した今もそう。

感情も行動もコロコロ変わっていく・・・

でもそれは、東京に出ていても同じだったように思う。

 

 

 

5年ぐらい通っているエステサロンのオーナーに、今日、こんな感じの事を言われました。

「あなたはアーティスト気質って言うの?一般の人が考えたり思ったりしない生き方をやるよね。(いろいろ始めるし、内容も変わっていくから)結局何をやりたいのか、どこを目指しているのかわからなくて危なっかしい感じもするけれどね(苦笑)」

「東京で流行っているファッションが地方だと手に入らないとしても、別にそれはその地域が遅れているということじゃない。自分に似合うもの、好きなものを着られている方が大事なことのように思う・・・。音楽もそうだよね。特にあなたみたいにオリジナルだと。東京のアーティストだから良くて地方のアーティストだからダサい、とかそういうわけじゃない。そういう物差しで見るようなものじゃないし・・・自分の感性とか、この地域に住んでいるならではのこととか、もっと出していいのかもよ?」

 

 

これは、「地方の人の中には、東京でない(都会にもまれていないというのか・・・)ことにコンプレックスを感じていることがある」と、自分のことを含みつつ話したのがきっかけ。

どこか、音楽でも仕事でもアイデアでも、自分のセンスに不安を感じていて、その理由の一つが3年と半年前に結局は東京行きは無理だと感じたこと。

逃げたように感じていたこと。

ライブするとき、アイデアを出すとき、「自分がこの場所に立ってもいいのか?」という漠然とした不安を感じることがある。きっとそこからも来ていると思う。

 

 

 

でも結局は、地元にいることにして良かったと思っている。

自分には両手を広げても余裕なスペースや、マイペースで自然でいられる場所にいた方が結果的にはよかった。

ゆるい所に住んでいる・勤めていると自覚があるから、足りない知識や情報やセンスを補おう・磨こうとするし、不安から用意周到になるし、自分がやっていい理由も言葉にしようとする。

それが結果自分の身になっているように思う。

 

そしてこれからは、「どこを目指して何をやりたいのか」を、説明しなくてもわかるようにしていこうと思う。

サロンのオーナーに「あなたが理解できない」と言われても、以前ならちょっと傷ついたと思うけれど今回は全然平気だった。「これからわかるようにしていくから!」と直感的に思ったから(笑)。

 

これも詰めが甘いのかもしれないけれど、「わかるように見える形にしていくこと」と思いついた時はきっと、そうできる準備が整ったということだと思う。

これまでバラバラだったピース(いろいろやってきたことなど)を、一つにまとめ上げていこうと思う。

 

東京だから地方だからは、言ってしまえば個性。

それで良し悪しが決まるんじゃない。

どちらでもとにかく必要なのは、コツコツ磨いて、見える形・言葉にして表に出していくこと。

自分の意思で、自分で動き続けること。

 

「叶ったらラッキ~❤」な遊び心で、もっともっと、怖がらずに、自分のアイデアとか考えを人に話してみる!

新月の約束。

 

 

 

 

2018.5.15 牡牛座新月「Love」

 

 

 

 

 

 

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そっちじゃなかった!という経験も、活かせれば未来的にはOKなのだ。

 

 

未来は、今から一歩一歩あるいた先にあるもので、

今も、過去から一歩一歩あるいてたどりついたもの。

だったら、どの時点も捨てることはできない。

自分から切り離すことはできない。

ただひたすら、それがあった意味を更新し続けていく。

 

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なーんて思う今日。

GWは仕事、あけて7,8,9日はお休み中。

そんな今、無性に本が読みたくなって、ジャンル問わず読んでいます。

昨日読んでいたのが『マンガでわかる!孫子式 戦略思考』(長尾一洋 著、宝島社)。

ブックオフで安かったから買ったのですが、結構おもしろかった。

中でも「ドメインチェンジ」というのに目がとまりました。

 

 

"―要するに自ら何屋さんか、何業かという認識を変えるのが、ドメインチェンジです。"(本書122ページより抜粋)

 

「花を売っていれば花屋」など扱っている物理的な商材目線の「物理的定義」ではなくて、「花は顧客にうるおいを提供していると考えて、うるおいに特化したうるおい提供業としてサービスする」と顧客に与える機能や効用目線の「機能的定義」にしてみる。(本書100ページからいくつか抜粋しまとめ)

 

 

これまで、ピアノを人前で弾くけれど自分のことを「音楽家・ミュージシャン・ピアニスト」と呼ぶのも呼ばれるのもはなんだかしっくりこなかったんです。

音楽業をしているとは全然感じられなくて・・・自信のなさもあるけれど、違和感があった。

それでこの「ドメインチェンジ」の箇所を読んだ時、自分自身が音楽演奏を商材じゃなくて存在(機能)的に捉えているからだなと思ったんです。

 

 

ライブを見に行くのもするのも実は苦手。

理由は、音楽があまりにもメインだから。

そうじゃなくて、演出の一部・BGM・映画音楽みたいな、周りに馴染んでいる、空気をさりげなくつくっている感じの方が好き。音のベールで包まれた空間内で空気が醸成されている、みたいなイメージ。

 

そのことに薄々気づいてたけれど、こう自覚するようになったきっかけは、縁あって地域のイベントに出たりリゾート列車に乗って演奏したりしたこと。 

イベントに出れば、もちろん音楽はメインになります。ただ、何というか、出演者そのものに目が行くもの。だから、ただ弾いていればいいんじゃなくて、パフォーマンス的なもの、場を盛り上げるトークや曲が求められるのだなと感じていました。でも、それがとても苦手。

リゾート列車でのラウンジ演奏は、車窓の流れる景色にあわせて弾くので、雰囲気づくりの方がつよいかな? 素敵な車両内で、ドリンク片手に、景色と音楽を楽しむ。音楽を楽しんでいる人もいれば、景色やドリンク、お友達とのおしゃべりを楽しんだり、全体の空気感を楽しんだりしている人もいる。中にはトークを求めてくる人もいて、その場合は苦手意識がぶり返しますが。。。

2つの違いは、演奏者がメイン=ステージなのか、お客さんがメイン=ラウンジなのか。対象物としてある音楽なのか、空気としてある音楽なのか。

一概にそうは言えないことは重々承知で、でもわかりやすく書くならそんな感じ。

自分は後者よりなんだなと、音楽活動をはじめて約2年ですが、2つの場所を経験してやっと確信が持てるようになったわけです。

 

自覚すると、今後の対策や比重も考えられるようになると思っています。

だから、そっちじゃなかった!という経験もやっぱり活かせるし、周り道や失敗だと思ったことも、活かせるようになればその経験の意味が更新されていくんだと思うんです。

 

 

今は音楽をやることを、パフォーマンスじゃなくて、空気感を演出すると捉えたい。

品(知的)があって、きれいで、澄んでいて、邪魔にならなくて、自然な空気感。

演奏はメインではなくて、黒子的存在に。だけどなくてはらならいもの。

そういう音楽演奏の提供の仕方を突き詰めてみてもいいよね? 音楽以外にも、空気をつくるサービスをいろいろ考えてみるのも面白いんじゃない?

本を読んでそう思いめぐらせています。

 

ハコをつくって、内装を整えて、内容(提供するもの)が完成した後に必ず必要なのが、どんな付加価値をつけるのか?

それを「空気づくり」と考えて、アプローチする。

私がやりたいのは、どうやらこれなんじゃないか??

 

 

 

今日のカードは「Fortune」=運命の輪。

今日の活動として取り組もうと思ったのは「これまでの振り返りと、本の知識から、未来を考える」こと。

 

明日から新しい会社に入ります。

転職するときは必ず、そこでどういったことを学びたいのか?を考えるようにしています。

今回は「空気を演出すること」について、音楽とその他の視点からいろいろ模索して、学んで経験も積むことなんじゃないかと思うところです。

 

 

 

2018.5.9「Fortune」

 

 

 

 

 

 

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もし、その道の先輩から、「あなたには才能がないからあきらめなさい」と言われたなら、楽なのかもね。

 

 

もし、誰かから、「あなたには才能がないからあきらめなさい」と言われたなら・・・

 

 

今日は『羊と鋼の森』(宮下奈都 著、文春文庫)という小説を読んでいました。

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2016年の本屋大賞を受賞した小説。

ピアノ調律師になった青年を題材にした物語。

話題になった時からは随分たつけれど、この前本屋で見つけて目に入って気になって手に取って買ってきて。昨日の夜から読み始めて、そしたら話に惹きこまれて止まらなくなってしまって、今日も朝から読んで。

読んでいても思ったし、読んだ後も思ったけれど、話題になったその時ではなくて「今」読んでよかったし、読みたかった本でした。

読み終わって思ったのは・・・結局、自分のことを決めるのは自分なんだ、ってことでした。

 

主人公は、高校生の時、たまたま体育館のピアノを調律する場面に遭遇して、調律師を目指すことにしました。その時の調律師がつくった音に、「これだ」と思ったから。専門学校に通い、卒業して、その調律師が勤める楽器店に就職します。楽器店には、その調律師を含め個性豊かな3人の先輩がいて、3人の現場とアドバイスと音楽観・仕事観・人生観を吸収しながら、自分の自信のなさと葛藤しながら少しずつ成長していくお話です。

「解説」でもあったけれど、主人公は音楽の下地のないことにコンプレックスを抱いて、調律師としての才能があるのか、ちゃんと一人前になれるのか、よい仕事ができるのか、不安を抱えて葛藤して、いわば自分探しの物語でもあります。

 

物語の中で、主人公が「あなたには才能がないからあきらめなさい」と先輩たちから言われることはありません。

むしろみんな、なんだかんだと応援してくれる。

でも、結局、それを吸収して自分の肥やしにして、成果・結果を出せるまで待てるかどうかは、本人次第なところがある。

 

もし、先輩から、「あなたには才能がないからあきらめなさい」と言われたなら・・・

本当は楽なのかもしれないなぁと、読んでいて思いました。

自分より前方にいる先輩にきっぱり言われたなら、あきらめもつくのかもしれない。

客観的に見て断言されたなら、潔く認められるのかもしれない。

 

けれど、前方にいる先輩こそそれは言わないんだろうな・・・

先輩も、才能とか目指すものとかに悩みながら今いるわけで・・・

主人公へ投げかける言葉は、自身への投げかけでもあって、言葉にすることで自分に確認しているような・・・

 

こつこつと、ただやり続けて積み上げていくしかないことも、物語では取り上げられています。

結局は、それをやるんだという執念や闘志、好きだっていう気持ち、情熱。

それがなくならない限り、才能云々であきらめることはないんだろう。

 

 

 

 

5/1のカードは「Actor」・・・カードを見て思ったイメージは亡霊

5/2のカードは「Fear」・・・化け物、エイリアン

5/3のカードは「Anger」・・・足もとから崩れ落ちる

5/4のカードは「Integrity」・・・神殿の入口

 

今ある技術で、カタチだけなら、その役割を演じることはできる。

でも実のところ、自分の力不足、才能の有無に不安を感じて、申し訳なさを感じている。自分でいいのか?と自信がない。

「無い」ことを認めるのは怖い。足がすくむような、化け物にとって喰われるような怖さ。

認めてしまえばあきらめなければいけなくて、それが嫌だからなのか、それともあきらめきれずに苦悩するとわかっていて、それが嫌だからなのか・・・

もし神様がいても、「こうしなさい」とはきっと言わない。言ってくれない。

「あなたの望むようにしなさい」と言うだけだと思う。

だから、自分のことを決めるのは自分なんだと思って、あえて誰にも聞かない。聞きたくない。

それに、正直なところ、誰にもわからない。何がどこでどうこうつながって、もしかしたら化けるかもしれない。それとも何にもならずに終わるのかもしれない。

そういう希望みたいなものがあるうちは、誰かからあきらめなさいと言われてもやるんだろうな・・・

才能があるからやるんじゃなくて、「自分にはこれなんじゃないか」という感覚があるからそこにいる。やっている。続けている。

まだ聞く時じゃない。

自分が納得していない。

納得できるほど、やっていない。

だから・・・やっぱりやるんだよな~

 

4枚のカードをつなげて思うのは、そんなことだったり。

 

 

 

 

"才能がなくても、好きならそれをやってみるべき"

そう、昔、自己啓発系の記事でアメリカの心理学者が言っているのを目にしたことがあります。

ずっと心に持っている言葉。

だからこの前のブログで「仕事だのなんだのではなくて、ただやり続けようと思う」と思ったんだった。

 

こつこつとやり続けるのも、結構苦しい。

進めば進むほど、上限がないことがわかるから。

上には上がいて、自分は途方もなく下方にいると自覚するから。

いっそのことあきらめたくもなるんだけど、でも・・・!と思う限りはあがいて、やってみればいいんだよね。

 

 

 

いい本を読むと、つい感傷的に書いてしまうのはちょっと恥ずかしいけれど(笑)

最近、半年の断捨離ブームを終えて、ぼやけていた自分の輪郭が前よりクリアになってきた気がしています。

やっと本来のスタートラインに立ったような気がしていて、今の自分に、主人公同様言い聞かせるためのメモ。

 

 

 

 

 2018.5.4「Integrity」

 

 

 

 

 

 

 

 

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現実を見ながら夢を見るには、一旦あきらめるといいのかもね

 

 

以前このブログで、転職活動をしていること、フリーランスを辞めることを書きました。

結論から言うと、5月中旬から新しい職場に正社員で入ることにして、フリーランス個人事業主)は廃業することにしました。

「好きなことを仕事にする」のは今のわたしには無理だな~と正直思って、あきらめることにしたから。

 

好きなことをやめるわけではなくて、スタイルの違い。

仕事だの、プロだの、お金だの。自分は果たして、そう云々言えるほどの人になれているのか?ということ。

答えはNo.

ある程度のレベルとセンスはある(少なくとも声はかかるということからの判断)。でもプロとは呼べない。

 

テレビに出るような人、ホールコンサートで全国を回るような人、アーティストのバックで弾く職人的演奏者、オファーが常にあるような人。それがわたしにとっての「プロの音楽家」のイメージ。

そんなハイレベルな人と比べてるの?とも思っちゃうけれど、実はそう(苦笑)。

だってそれがもともと持っているイメージだし、憧れだし、場違いにもほどがあるけどなんだか嫉妬する・・・。

その割には、全然技量も足りないし、努力も足りていない。気持ちも足りていない。好きなことを仕事にしていけるほどの人になれていない。

 

 

 

以前、仕事だと聞いて演奏に行って、ふたを開けてみればノーギャラで持ち出しをお願いされたことがありました。

その時ものすごく不快に感じて、主宰に「遊びや趣味感覚でやっているわけじゃない。お金がでない依頼はちょっと・・・」と伝えました。

その後、そのグループの人からは何かのたびに「プロだもんね」と言われることがあって、何だか嫌みに感じていました(本人たちはそのつもりはないかもしれないけれど)。

「そういうあなたたちもプロじゃないの?お金もらっているのに?なんでいちいちそんな風に言うの?」と突っ込みたいところだったけれど、険悪になったら嫌だなと思って聞き流していて、だからか自然と離れちゃったけれど・・・。

 

「プロだもんね」と言われて嫌みに感じたのは、結局、自分が自分をそうは思っていないせい。

さっき言った「プロ」と比べればもちろんそうなんだけど、加えて、奮い立たせるために必要だった奢り=「頑張ればできる」という不確かな自信をどこか持っていて、それを基盤に積み上げるのは限界があって・・・というのを自覚した感じ。

 

結局周りから見れば、わたしのレベルなんて趣味に毛が生えた程度。

いくら「仕事として頑張っていきたいんです!」としても、一角の人だとか、バンバン活動&宣伝しているとか、どこかに所属しているとか、わかりやすい動きをしていないならやっぱり趣味と見られやすい。

それが現実。

恥ずかしいけれど、青臭いし甘いんだよね、わたし(苦笑)。

 

 

 

夢見がちで幼稚だなんて、恥ずかしい。

能力不足を認めるのはこわい。

思ったよりもできない自分をつきつけられるのは苦しい。

でももっと嫌なのは、等身大よりも大きく見せようと見栄を張ること。

  

とういのも、昨日はライブイベントに出てきました。

終わって思ったのは、数は少ないけれど見に来てくれる人がいて、聞いて感想を言ってくれる人がいて、それで満たされるな~嬉しいな~ということ。

自分は自分で好きなことをやって、目の前の人にも何だか響いたらしい。そう曖昧にしか言えないんだけど、「響いた」というのがポイント。

響くのは、目の前のことを丁寧に大事にできた時だと思っていて、それができた時わたしは満足するんだな~って思ったんです。

もし見栄を張ってしまったら、お客さんの数だとか周囲の反応の方を気にして、満足している自分をダメ!なんて思って感じないようにしてしまうんじゃないかな・・・

 

 

 

見栄を張りたくない。

張らずにいられる自分でいたい。

だから、好きなことを仕事にとか、プロだとか、お金とか、今はあんまり考えたくない。

考えるにはまだまだ、時期尚早だから。

考える段階にまだないと、自覚したから。

 

それよりも、やり続けること。

音楽をやり続けて、もっと上手に、もっと情感豊かに弾けるピアノ弾きになる。

曲をつくって発信し続ける。

目の前のコト・ヒトを丁寧に大事にする。

素直に現実を、不足している自分を受け入れる。

 

「好きなことを仕事にする」という夢を疑似体験するシーズンから、現実を見ながらその夢を見るシーズンへ。

そのための第一歩が、"今は"、漠然としか見られない大きな夢や憧れをあきらめること。

今あるもの・やってくるものに丁寧にあたる度に、夢が今度はちゃんと輪郭をもって見えてくるだろうと思っています。

今は等身大の自分を受け入れて、等身大で人の中に出ていくことから始めていく。

 

 

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2018.4.30 蠍座満月「Sun」

 

 

 

 

 

 

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とりあえずでいいんだ!って今は言いたい

 

 

わたしが言っている「夢」は、嘘ではないけれど、正直そこまで本気じゃない

「とりあえず」が欲しくて言っているようなところもある

夢がないと、それをやる(わたしなら音楽活動をする)理由を持っていないと、それをやってはいけないような錯覚をして落ち着かないから

 

理由とか、目的とか、夢とか

はじめからはっきりとわかっていることって、実はそうそうない

いつも「何となくそれをやりたい」みたいなフワフワしたところからはじめている

 

フワフワだから、やっぱり、行き当たりばったりなの

上手くいかない・回らないことも多いの

変更することも多いし、ちゃんと進めているかはわからないし

だってそもそも、どこに向かっているんだっけ?がはっきりしてはじめているわけじゃないから

 

行き当たりばったり系はダメ?

と思っていたけれど、その方がうまくいくタイプもいるって本に書いてあったから、やっぱり「とりあえず」で進んでみた

 

そしたら一つわかった

 

何かを知ることができたり、できるようになったり、上達したり、成果が出たり、人に出会えたり、チャンスがきたり

そんな時、理由とか目的とか夢とかが、「あ、こういうこと!」みたいな感じにわかる瞬間がある

 

" 理由は後からついてくる "

そう聞いたこと、ない?

はじめから明確に言語化できていなくても、何かの拍子にわかる時

 

その「時」を待てるかどうか

その「時」まで自分をちゃんと育てられるか

 

「自分を変えたい、自分の可能性を生かしたい。そう思うなら、決意と優しさと、たゆまぬ努力が必要だよ」

そう言ってくれたのは誰だったか?

 

ほんと、その通り

 

とりあえずの夢を持って、目の前に来たチャンスに一つ一つあたる

今はそれしか思いつかないけれど、それでいいんだと思ってる

 

とりあえずでいいんだ!

 

その「時」が来ればいろいろわかるだろうから

その「時」の自分なら、今とは違う場所、少し先を見ることもできるだろうから

 

 

 

明日はホールでのライブで

一人でステージに立つのはどこか怖い

弾きミスしたり曲を度忘れしちゃわないか・・・失敗するのが怖い

変な曲って思われないか、自分のレベルは大丈夫なのか・・・いろいろ怖い

 

でも、楽しみもある

自分の曲を弾けることとか、聞きに来てくれる人がいるとか

明日弾くピアノはどんな性格だろうとか

半年前と比べてどこまで上達しているかなとか

・・・

その「時」がきて、何を感じるのかも

 

ライブ出るにあたり、仕事セーブして時間も体力も投資して、スタジオ借りて練習して

何でそんなに?というのも実はちょっと曖昧で

出たからといって、その先に何かあるかなんてわからない

費やした分のリターンなんて度外視している

それでも、やっぱり「そうした方がいい」と思ったから根詰めて曲と向き合って、準備してみた

明日はどうなるかな・・・

終わってみて、どう思うのかな・・・

 

・・・

怖さと楽しさを両方抱えて生きていきましょ

(笑)

 

 

 

 

 

2018.4.28「Nurturing」

 

 

★ライブのお知らせ★

2018年4月29日(日)「PianoMusicFes」
場所 清水町地域交流センターホール
詳細はこちら https://piano.39disk.com/

出演時間 16:30~17:15
ささやかなお話、出会った情景をピアノの音にかえて、ストーリーを紡ぐような音楽をお届けします。演奏リストは下記の通り(予定)

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私はわたしについていきたいと思えてる??

 

 

百獣の王

鬣の豊かなライオン

 

その目は

砂漠の中の朽ちた神殿でも

燃えあがる湖でも

静かにおちていく森でも

変わらずに威厳を放つ

 

逆境でも

甘い状況でも

自分の上に立って

周りに目を配って

声を聞く

 

場所や環境は問題じゃない

結局は変わらずにあるもの

向きあって考えて決めて立つつよさ

 

自然の厳しさの最中にいても

鋭く前を見て

耳で気配りをして

時には相手の目をまっすぐ見つめ返す

だからついていこうって思えるんだ

 

「私はわたしについていきたい?」

「Yes!」

そう言えるわたしでいれば

華は咲くのかな?

 

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2018.4.21「Strength」