saryの日記

肩の力をぬいてもあるけるようになるための日記☆ボイジャータロットから連想する気づき☆

2人でなら、1人では行けないところまで行くことができるードリームマップ講座を受けて

先日、夢入さんの「ドリームマップ1day講座」を受けてきました

 

講座では

・ドリームマップについて説明を受けて

・現在の自分について、テキストや会話から文字におこして

・3年後をイメージしながら雑誌をたくさんめくっては気になった画や言葉を切り取って

・並べて

・真ん中に3年後の夢を描いて完成

 

ドリームマップ自体は前々から知っていたし興味もあったけれど、「今それをやっても嘘っぽいのを作ってしまいそう」と夢を描くことにずっと抵抗があって、あえて受けてこなかった

でも年末に、家族のことや仕事のことや人間関係などいろいろなことに気持ちの面で区切りがついて、今このタイミングなら受けたいなと思い、新年早々に講座をお願いしました

受けてとってもよかった

始終たのしかったし、今の自分像をつかめたと思うし、出てきた夢もとてもしっくりきたから

 

 

講座を受けて気づいたのは、音楽は私にとって、以前は自分を形つくる為のものだったけど、今は外(社会・人)とつながる為のツールになりつつあるということ

ソロで音楽の活動を始めたときは、わたしは音楽やるんです!と主張して肩に力をいれないといられない状態だったと思う

実際に「ミュージシャンです」と言うことにとても抵抗があったし、音楽をやることは何か特別なことのように感じていた(日常じゃない、という感じ)

音楽をやることがアイデンティティ確立に必須だったと思う

でも最近は、多少の緊張はついてまわるけど、力が解れた自然体でもできるようになってきた気がする

ライブや演奏の仕事をこなしていくなかで、音楽をやることが普通のことになってきて、内と外のギャップがなくなってきてちょっと余裕が生まれてきた感じ

だからかな?

もっと外に出てみたいと思うし、人と一緒に作品をつくりたい

 

そうして出てきたわたしの3年後の夢は「ヨーロッパ演奏旅行」

しかもソロじゃなくて、何かしらグループを組んで廻るもの

形式も、ライブやコンサートにこだわってはいなくて、もっとこう新しいというか、そういうやり方もありだね!とか、自分ぽいなぁと思うスタイルで

ピアニストでもなくミュージシャンでもなく音楽家でもなく、"演奏家"って言葉が一番しっくりくるこの頃

前回のブログにも書いたけれど、表にいながら裏方でもある、アンサンブルな生き方をしたい表れなんじゃないかと思う

  

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そうして今日は、時間をかけて後でやってみてね、と言われていたワークをやっていました

夢をかなえる5つの習慣について、今日思い至ったことをメモしておきます

 

 

【姿勢】ひとつひとつの事を丁寧にやる

=手は抜かない

=ながら作業・流れ作業・慣れ作業じゃなくて意識して行う

 

トーンとしては、シンプル・ナチュラル・なめらか・上質・知的・丁寧・微笑み・いったん受け止める(即拒絶しない)

たとえば仕事の予習、ワーク後の自主的な振り返りはそう

その他にも毎日のこと、たとえば、ストレッチやピアノ練習、毎回の音楽の仕事、朝ご飯を食べる(食べない)ことも、SNSを見ることも、家事を終えることも、もう習慣のように流れでやっていることは深く考えないことが多いから、「今それをやることを意識する」だけでも違うと思うし、それが丁寧さにつながると思った

 

 

【言葉】私は私。人は人。みんなそれぞれ違くて当たりまえ。だからシナジーがうまれる

ボイジャータロットの時にも思っていたことを、今回も

違うからこそ掛け合わさることができるわけで、だから相乗効果も生まれると思っている

思えば、この人から学びたい!と思う人って、自分とは性格も個性も得意も違う人

だから、自分の美学を振り切っていきたい

 

 

【思考】レトリック感覚、意識をひっくり返す

今私はこう考えているけれど、逆の視点で考えたらどう思うだろう?

あの人だったらどう考えるだろう?

いつもとちがう視点で見たらどうなるだろ?

俯瞰して物事をみるためのエクササイズを

 

 

【想像】こんな〇〇だったらどうだろう?

仮説をたてることで、イメージをかたちにする

 

 

【行動】メモして、チェックして、行動する

①アイデアや考えをノートにメモする(手書き)

②それが【姿勢】のトーンや夢のための行動・手段に合っているかチェックする

(合っていれば③へ、合っていなければ一旦保留)

③②を簡単な企画にまとめてみる

(面白そうだと思えたら④へ、思わなければ一旦保留)

④③を実行する

 

メモをすることは何てことないかもしれないけれど、立派な行動だと思う

あと、アイデアが出たらとりあえずやってみたらいいんじゃないかと思っていたけれど、講師の方から「現在地がわからない=夢がわからないのに行動からしようとする人が多い。現在地がわからなければ目的地(夢)は描けませんよ」と聞いて、”アイデアを夢に照らす”というワンステップを加えようと思った

過去やったことで継続していないことは、たぶん行動が先で夢が曖昧、もしくはその場しのぎのものだったから続かなかったんじゃないかとふと思った

 

 

ワークを復習するのは好き

まだまだ発見が出てくるから

5つの習慣の次は行動計画をたてるんだけど、なんだかワクワク♬

受けて終わりじゃもったいないぐらい充実したドリームマップ講座でした

 

 

 

今日のカード「Synergy

2人でなら、1人では行けないところまで行くことができる

 

 

 

 

ボイジャータロットで人生の棚卸し ③

ブログに考えを書くことは、自分を客観視できることだと思うけれど、時には自分に暗示をかけちゃっているかもなとも思う。「こうあらねば」みたいな

考えていること・感じていることを何とか言葉にしようとした時、ぴったり当てはまる文章や事柄で表せる時もあれば、あーでもないこーでもないと考えにはまっちゃって、無理やり当てはめるみたいに文章をつくって、しっくりしない部分が残るような時がある

書けたことに満足して最初はいいんだけど、読み返すと、しっくりこない・違和感があって、どこか嘘っぽく感じる

 

これまで4つのカードについて書いてきて、「変わる」は私の人生のキーみたい、なんて思った

4つについては本当に感じていることがうまく言葉で表せたんだけど、あと6つのカードについて書いていたら、なんだか当てはめて書いてる気がして嫌になっちゃって、いい子演じているような、嘘っぽさがあって、文章を消去

後日書き直せばいいんだろうけど、何となく、今日書いちゃいたくて、また書いてみる

たぶん、ワークを受けたときの感覚が残る中で形にしておきたかったから

 

言葉にできる部分だけを書いてみようとして、ふと気づいたんだけど、したくないことを書く方が簡単だし真実味がある

 

 

 

 

Equaminity

”合う周波数をみつける”

 

「自分の周波数を大事にしてね」

「他の周波数に合わせようとすると自分のエネルギーが下がっちゃうよ」

というメッセージをもらって、ドキッとした

結構それやって疲れるから

周りに合わせすぎなくていいし、自分がいいと思うものを否定しないこと

 

 

 

Emperor

"大枠"

 

「細部にこりすぎると全体が見えないよ」と言われた気がした

これも結構やってる苦笑

結局何のためにやっているんだっけ?となることある

すべてにおいて細部まで考えなくてもいいし、漠然としたものでも否定しないこと

たぶん、そのうちパッとクリアになるだろうから

大局を見る目を持てるように

 

 

 

Knower

”知ってるでしょ?”

 

「もう他を参考にしなくても、自分でわかってるでしょ?気づいてるでしょ?気づかないふりしてるだけでしょ?」と背中を押されている感じ

きっとこうなんだろう、と思っていてもすぐには出さない

周りはどうなんだろう?と気になって情報収集する

そこで比較が生まれて、自己嫌悪と焦り

培ってきた自信を自分で削る

だから、あえて参考にしないっていう態度も必要

周りに習おう・倣おうとするよりもまずは、自分の「きっとこうなんだろう」をよく見つめる

 

 

 

Priestess

”わたしがどうしたいかで進む”

 

家族だからって気が合うわけじゃないし、苦手な人もいる

ふと思った

「家族の人たちは、もし赤の他人だったら友達になりたいとは思わないかも」

えーひどい!って自分でつっこみした笑

嫌いとかじゃなくて、何というのか、合わない部分が多い

価値観が、それこそ周波数が違い過ぎて、親密になりきれない、オープンではいられない

だからこそ一緒にいて得るものもある

それに気付けるのは、違ってていいって認められている時

結局は、家族も他人で、程よい距離感が必要

無理にごっこをしようと頑張らなくていいんだよね

それぞれに合ったカタチがあるんだろうから

 

 

 

Master

”プロ発信、玄人向け”

 

「大多数に受けようとしなくてもいい」と思いたくなったカード

万人受けとか、利益が出るとか、そういうのじゃなくて

おばあちゃんの知恵みたいな、個人の実体験からのもので

オリジナルであることが音楽でも人生でも大事なテーマなんだけど、それは何というのか、自分の中から出てくるものを形にすることに使命感みたいなのを感じているから

これ何のためになるの?って、自分の活動を効率とか効果でみないこと

何のためになるのかはわからないけれど、形にしつづけることをやめないこと

 

 

 

 Moon

”ほっとする”

 

「影の支配者」と聞いて、私は「裏方仕事」と思ったんだけど、確かに、そういうポジションは得意だし力も発揮しやすい

ただ気を付けるのは、力を発揮したい対象が自分の周波数と合っているか

合っていないものからは全力で逃げる!(実体験よりの教訓)

その対象が見つかったなら、裏方を極めるって大変だけどおもしろい(今、こんな風な仕事もやってるから実感)

表に出なきゃ仕事にならないと思っていたけれど、表に出ながら裏方っていうのもあるんだよね

 

 

 

 

改めてみると、それぞれのカードがお互いにリンクしていて面白い

ホールセルフマンダラの最後に、一言書く場面があって、こう書きました

 

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自分の人生を生きた!と誇れるようになりたいから、こうやってワークをしているのかも

そのためには

「変わる」「大局を見る」「自分の感性・感覚を否定しない」

この3つがキーポイントなんじゃないかと思った

 

 

 

 

 

 

今日のカード「Ecstasy」

何の制約も受けないで、夢の中を垣間見るように

こうしなきゃいけないっていう暗示は、自分でしている

自分で外すこともできる

 

 

 

 

ボイジャータロットで人生の棚卸し ②

前回は中心となる2つのカードの感想を

・「これじゃなかった…」とがっかりするたび、ほんとうのわたしに気づけてる、自分の核に近づいている!

・制限はアイデアと工夫のチャンス!狭さをたのしもう♡

 

今回は、人間関係につながるラインに出てきた、2つのカードの感想について

面白いのは、前回の2つがベースになっていること、自分のストーリーがここにあるって感じられること

 

 

 

Change

"まだまだかわる"

"勝手にかわることをわかる"

 

 

出し惜しみしないで!

と言われてるように感じる

 

もっともっと

変化していいし

成長していいし

高い理想を掲げていいし

人の起こした波に乗っかっていい

 

これまで何となく罪悪感みたいなのを持ってた

自分から動かなきゃダメとか、自分が主宰になって事を起こさなきゃとか

それらやってないくせに、人の起こした事に乗っかっておいしい汁を吸うのはいかがなものか?みたいに

(根が真面目で頼まれるとやる気アップする性格だから、乗っかるにしてもちゃんとやってるんだけどね)

 

あと、自分の作品やら構想やらを出して、いい反応や成果がないといけないような気もして、SNSへの投稿や友達への相談にしても躊躇することがある

 

だから「出し惜しみしないでいいんだよ」と感じたのかも、感じたかったのかも

 

だから、これからは、まずは友達onlyのSNSには躊躇せずにアイデアを出していきます笑

公開SNSへの作品投稿も引き続き、むしろもっとやっていきたい

 

 

 

 

Tower

"とびおりる覚悟"

 

もう何年も恋愛から遠ざかってる

というより、遠ざけてきた

なんかイヤで

自分の根っこがぐらぐらのうちは、恋愛が依存になるだろうなと感じてたから

 

大学生の頃、自分が出した選択を、当時の彼氏に反対されて、そこまで吟味せずに変えたことがあって

大した件でもなかったんだけど、彼の言う、世間一般としてはこうすべきでしょ? みたいなのに臆して従ってしまった…というのを、今でも後悔してる

 

世間はこうだから、という理由だけで意見や選択を持つんじゃなくて、チャンスもリスクも自分の気持ちも考えた上で意見を持てる人になりたい

そう思ってきたから、自分と向き合うことを第一にして、恋愛はちと面倒に感じてた

ま、仕事ばかりの生活が気に入ってるのもちょっとあるけど

 

そろそろ変わる時なのかな?

 

「その人と出会ったら、仲良くしたいなと感じたら、躊躇しないで」

 

そんなメッセージを感じてる

とりあえずね、どんな人と会いたいか、書き出してみた(ここには書かないけど笑)

 

 

 

2つのカードについて書いてると

・出し惜しみしないでいいんだよ

・もっと自分の感情や思いつきにアプローチしていいんだよ

・きゃっきゃっしちゃえば?

と思った

 

 

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今日のカード「Devil's play」

酔っ払って、ふわぁ〜っとなって、気を抜いて

のんべんだらりで過ごす時もいいよね

 

 

ボイジャータロットで人生の棚卸し ①

12月はじめ、kiacardさんのホールセルフマンダラを受けてきました

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今回で2回目、2年ぶり

前回と同じカードが出たり、馴染みのあるカードが出たり、終わって全体をみれば「うーん、わたしっぽい笑」なカードが出るから面白い

本当にたのしかったので、kiacardさんにもらった言葉を自分の中にちゃんと落とし込みたくて、今日から3回ぐらいにわけて感じたことを文字にしてみたいと思います

 

 

まず、ひいたカードはこの10枚

 

Disappointment

Oppression

Equaminity

Change

Tower

Emperor

Kower

Priestess

Master

Moon

 

順番に、kiacardさんの言葉と、感じたことを書いていきます

 

 

 

 

Disappointment

"失望…がっかりしてたのしかった"

 

 

「これじゃなかった…」と思うことの多いわたし

特に仕事はそうで、転職は何回もしてるし、1回やってみたけどちょっと思ってたのと違和感あってもうやってない活動もいくつかある

長く続けてるのは読書とピアノぐらいかな

 

ころころ変わることや長く続けないことが、悪いことのように言われて育ってきてるから、「そんな自分は大丈夫なのか?人として」と思うときがある

 

ただ、メッセージをもらって、ふと思った

「これじゃなかった…とがっかりするたび、気づけてる、核(コア)の自分に近づいているんだ!」

 

本当にやりたいこと、好きなことって、簡単に見つからないし気づけないし、そもそもコトを知らなければその対象にもあがらない

何かやって、気づく

をひたすら繰り返して、何が嫌で合わなくて、何が好きで合うのかを知っていく

玉ねぎの皮を一枚一枚丁寧にはがすような作業

本当にやりたいこと、好きなこと、人生かけてやることは、そうやって皮をむいていくことで見えてくる

次の扉がひらくのは、決まって"終わり"のとき

だから、がっかりしても大丈夫

また一歩、ほんとうのわたし、コアのわたしに近づいたんだ

 

みたいに感じた

飽きっぽいんじゃなくて、見切りのカンがよくて思い切りのよさがあるだけ笑

たくさん扉をあけていって、たのしめばいいんだね

 

 

 

 

Oppression

"出られないたのしみ"

 

 

お金がない、チャンスがない、人脈がない、機材がない、環境が整ってない、学がない、富豪家庭に生まれてない…

 

人生て基本、ないないづくし

でも、あたま(思考)は自由!

制限された環境・条件だろうと、発明は可能だし、ないからこそ工夫しようとするし、むしろアイデアのチャンス

自己流アレンジで切り抜けるのはスリルと興奮

狭さをたのしめ!

 

なのかなぁと思う

 

 

今日はここまで

続きは後日

 

 

 

 

今日のカード「Equaminity」

客観的に自分をみたいときは

文字にする

 

 

 

 

わたしとワタシのお話し② 自分批判の原因になるものは、願いに合っていないってことかもしれない

365日ぶりの日記

今年になって新しく、定期の音楽の仕事が入るようになって、慣れるのに必死でした

ブログを書く余裕はなくて、気づけば一年

それだけいっぱいいっぱいな一年だったんだと改めて思う

 

今日は久々に、一年前の続きを書いてみる

わたし=外側の、生活している、意識のある私

ワタシ=内側の、話しかけてくる私

と思って読んでください

 

 

さいころから本を読むのが好きで、それにはマンガやラノベも含まれている

自分の周りにはないストーリーが絵と一緒になっているのが魅力で、面白さや想像力以外にも、知識や考え方を広げてきてくれたと思う

それに、ちょっとつまづいたときや傷ついたときに、自分や他人批判に意識が持っていかれすぎないようにするためのツールだとも思う

自分のこころを守る役割もちょっとあると思う

 

紙の本派だったけど、2年前くらいに電子書籍を使ってみたら便利だし気軽で、以来よく使うようになった

物を持たなくていいし、欠品はないし、決済もラク

ただ、気晴らしや暇つぶしに空いた時間で利用するはずが、だらだら利用するようになっちゃって、夜更かしすることもたびたび

特に、現実を考えたくないとき、やる気がないときは一番やりやすい

逃避のツールみたいになっている 

 

なんで時間決めて終わらせられないの?

その時間で楽器の練習したら?曲つくったら?録ったら?勉強したら?・・・もったいない!

夜更かしなんてするから体調いまいちなんだよ!

演奏の仕事近いのにいいの?

こんなことしている場合じゃないでしょ!

・・・

電子書籍でだらだらした次の日には、ワタシがわたしを責め立てるように話しかけてくる

自分を守るから一転、批判する原因になっちゃっていた

(ちなみに、不思議と、紙の本だとそうならない)

 

 

昨日、ゲーム依存のニュースを見た

生活や仕事に支障が出るとわかっていてもやってしまう、という所が、程度の差はあっても自分にも当てはまるようで見入ってしまった

 

昨日、ネット記事を読んでいた

「生活が変わらないと音が変わらない」とあって、音楽ちゃんとやりたいと言っているわりには、電子書籍プチ依存で自分管理がうまくいっていないこの状況をどうにかしたと思った

「あっ、わたし変わりたいんだ」ってふと気づいた

 

だから、電子書籍のサイト登録を今朝スパッとやめてみた

読みだめた本やマンガデータも何もかもなくなる(読めなくなる)けれど、紙の本だって定期的に処分してたんだし、これも一つの断捨離だな~と思いながら

「もうそれはいらないでしょ?」というのがワタシの意見かも?とも思いながら

 

 

 

電子にある本は無限に近くて、紙の本は有限な感じ

物のかたちをとっている方が、おわりが目と手でわかる、捨てることができる

これ以上は無理かな~と、限界ラインがひける

実体がある方が扱いやすいけれど、無限にやってられる状況のものは手にあまるみたい(コントロールしにくい)

紙の本はこれからも読むけれど、電子系は私には合わないらしい、と今回のことでわかった

 

 

ワタシだって責め立てたくないんだよね

だから、その原因を取り除いてあげないとね

自分に合わないものだよ!って教えてくれてるんだと思うから

自分批判の原因になってしまって純粋に楽しめなくなったものは、願いに合っていないってことかもしれない

 

便利だけど合わないものは合わない

そういうのは自分の純粋な部分を損なう気がするからやめた

というお話でした

 

 

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今日のカード「Purity」

幽霊船が漂っているような空間で

灯したろうそくの光だけは実体感がある

相性のいいものを見つけるコツは、そういう感じ

わたしとワタシのお話し① 思っていたより低かった自尊心

3週間ぐらい前のこと。将来どうなりたいのかを考えていた。そこで未来の脚本(なりたい未来像・ワンシーンを描いたり、それまでのストーリーを考えてみたり)を書いてみようと思って、スマホのメモに書いてみた。その時は意気揚々と書けた。でもしばらくして、さて続きを、なんて思って伸ばしたその手はピタッと止まってしまった。同時に気持ちも、未来へのやる気もなくなってしまった。それは今も続いている。

なんでやる気が起きないの? 

どうして自分の思った通りに自分は動けないの?

意識あるわたしと、内面のワタシが、一緒の方を向かないもどかしさ。

それについて思ったことを、これからしばらく書き出してみることにした。

 

 

最近 コーチングを受けている。その一環で自分を改めて振り返っていた時、わたしは自尊心がある方だと思っていた。大学生の頃から自己啓発を重ねてきたことと、これまで波を乗り越えてきた経験に裏打ちされた今の「わたし」は、以前より自覚が芽生えて志向がたしかになったように思えたし、10代20代と比べて自分を小さく見たり卑下することもなくなったし、自尊心はだいぶ育ったと思っていた。だから未来のことも積極的に考えたいと思うようになっていた。

でも、いぜ考え始め実際に手を動かし始めたら、ピタッと止まってしまった・・・やる気が起きない。

というより、やりたい気持ちはあって、そのためのプラン=日々やるべきこと=行動も考えられるんだけど、行動が伴わない。

モヤモヤモヤモヤ・・・

でも2日前、ふと気が付いた。

だいぶ育ってきたと思っていた自尊心は、実はまだ低いんじゃないかって。

 

自尊心というのを考え始めたきっかけは、たぶん大学1年生の春も終わる頃。

当時のわたしは、「よいこ」でいようといつも肩に力が入っていた。知らない土地と新しい人たち。相手の気に入るように、傷つけないように、イイことしか言わないように、みたいな感じ。だから人の顔色を窺いながら接していた。

正直それはしんどくて、でもそれ以外の付き合い方もよくわからない時期でもあって、すごく人に気を遣っていた。簡単に言うと「ごめんなさい」の気持ちがいつもあって、言葉にしなくても姿勢にそう出ている感じ。

そんな時、サークルのプチイベントで一緒になった同級生の女の子に、「そんなに気を遣われると疲れる」とちょっとうんざりした顔で言われた。

今振り返れば、やっぱりそういう人を相手するのは疲れるなと、自分でも思う。

その時その子に「疲れる」と言われてハッとして、自己啓発というのを意識するようになっていった。自分に自信をつけようとか、自分の感性や感覚を大事にしようとか、人の目を気にし過ぎないようにしようとか、おかげで「自己の成長」というのをすごく意識した学生時代になった。今では言ってくれた子に、気づかせてくれたことに感謝している。

卒業後も相変わらず自己啓発本は好きだったし、内面を振り返ることはしょっちゅうしていた。

そうして今、わたしは「自分中心」で生きている。

自分のやりたいことを認識しているし、やれているし、生活も何とかなっている。次はその質をどれだけあげていけるかをたぶん考えている。

そこでてコーチングを受けたけれど、自尊心について考えるワークの後に手が、意識が、気持ちが止まってしまった。

 

思い当たったのは・・・

実はワタシの自尊心は低い(それほど高くはない)のに、わたしは低いことがいけないように感じていて、だからもう大丈夫だと言い聞かせるように高くあるようにみせている気がしてきた。つよがっているんじゃないかなって・・・それは何というか、過去の、あの大学生の頃のわたしを今のわたしが拒否しているような感じ。

苦い時期があったから今がある、という気持ちはある。

でも、どこかでそういった苦かった頃の自分を恥ずかしくも感じている。

 

それに、夢がない・やりたいことがないとか、「ない」ということを否定的に思っていて、無理やりあるようにしているんじゃないか?ふとそんな考えも浮かんできた。

これまで認めたくなかったけれど、わたしの「ある」って言っているモノたちって、見せかけなんじゃないかって・・・

 

今ある自尊心もハリボテに思えてきた。

そうして、やる気が起きなくなってしまったのは、きっとそれが理由なのかなって思った。

未来を考え始めたとき、中身が実はスカスカでこのまま進むのは危ういから、ワタシがわたしの手を止めたのかなって、何となく感じている。

 

 

今日はおちがないんだけど、自尊心が思っていたより低いのかもしれないと思って、そうしたらワタシが「そうだよ」って言っているような気がしたので、とりあえず書いてみた。

自分をつよく高く「ある」「持っている」かのようにみせていないか?

つよがるのをわきに置いて、もう一度、自分の足元を見つめ直した方がよさそうだと思った。

 

 

2018.12.6 Narrowness

狭い中に物があればぶつかりやすいけれど、ぶつかるから気づくのだと思えば、自分の小ささはこれからの伸びしろでもあると思いたい。

10年前の小さなトラウマとさよならして、ロマンティックにいきましょう。

実はトラウマだったこと

昔、といっても10年前ぐらい、バンドメンバーに「あなたの曲はちょっと恥ずかしい感じがする」と言われたこと

その人にとって他人の曲が恥ずかしい場合もあるし、ピンときていない場合もあるし、テイストが好みじゃない場合もある(おそらくどれもそうだと思う)

ただその一言で、「自分は残念な人だ」と感じて、自分の感性そのままに表現することをためらうようになった

今思えば、そのおかげでアレンジを試行錯誤するようになったし、未熟さからくる幼稚さや目立ちたい・認められたいがゆえの技術盛り込みはしていないか気を付けるようになった

自分に酔うこと=表現ではないと、痛感した時だったと思う

 

ただその頃から、願うようになったのは「もっと情熱的に音楽をやりたい(打ち込みたい)」だったように思う

ドラマチック・ロマンティック・ストーリー性のある音楽が好きで、アレンジも曲作りもその傾向がある

でももちろんその傾向が合わない音楽もあるし、何より感性が信じられないのだからアレンジも曲も作っていてどこか不安

ダサくないか、演奏技術がひどくないか気になって、こわくて・・・褒められても疑心暗鬼になりやすかった 

自信があまり持てない分まわりをちょっと威嚇していたように思う

「自分の感性はちょっと残念気味だから、気を張っていないとボロが出る」みたいに感じて・・・

そんなんじゃあもちろんだけど、「情熱的に音楽」はできないわけで・・・

感情移入しきれないし、感情表現もどこか抑え気味になる

実際、自分のつくる曲・自分の弾く曲・表現する感じはつまらないなと感じていた

バンドを続けていても、クラシック曲を練習したりレッスンに通ったりしていても、ソロで音楽活動を始めた2年前(ちょうど今月で3年目突入)から今までも、正直そう思っていた

好きなんだけど、どこかのっぺらしている感じがして・・・何かが足りない感じ

 

 

 

 

 

今度ボランティアで、お箏の方と童謡を何曲か弾く

ピアノは全曲ゼロからのアレンジ

昨日はその練習だったんだけど、ドラマチック・ロマンティック・ストーリー性好きの自分の感覚そのままのアレンジを披露したら、「やさしい中にセクシーさがある気がする」と言われて、純粋にうれしかった

"あ!"とその時思った

 

今まであらゆる場面で、感性をあらわにすることを躊躇ってきた

自分に酔うのはダメ、客観的に!みたいに思っていたし

表現するとダサい自分が余計にダサくなるって思って(苦笑)

それは音楽の時もそう

でも躊躇は表現のブレーキになってしまうんだろうな

 

自分の感覚に酔ったっていいのかもしれない

酔うというより信じてみるという感じ

 

最初は酔ってみて、次は客観的にみて、また酔ってみて、また客観的にみて・・・

その作業自体は10年前から変わらないけれど、根っこはちょっと変わったように思う

「私は残念でダメ」から始めるんじゃなくて、「とりあえずOK」で最初を始める

 

 

 

 

今まで、テレビやコンサートでミュージシャンを見たり、成功している人の話を聞いたり見たりすると息苦しい気持ちになりやすかったけれど、最近は格好よく感じるし、感動しやすくなっている

そこに居るってこと自体がすごく胸を打つ

ドラマチック・ロマンティック・ストーリー性をもって音楽をやりたいと願うのは、自分もそう生きることを望んでいる表れなんだと思う

望んでいることを素直に感じられるようになったから、胸を打たれやすくなっているのかも?

 

練習で"あ!"と思った時、「情熱的に音楽をやる自分」を恥ずかしがる時期がようやく終わったのかもなぁと感じた

だから躊躇せずに、ロマンティックに音楽をやっていくことにする

 

 

2018.10.9「Disappointment」